発掘概念
自由
「自由」は、明治より前は、ほとんど悪口だった。わがまま、自分勝手。その負の含みに、僕らは今も足を取られている。
「自由に生きたい」と、誰もが一度は言う。
でも、その「自由」を江戸の人に言ったら、たぶん眉をひそめられる。彼らにとって自由とは、ほめ言葉ではなかった。むしろ、わがまま、身勝手、という悪口に近い言葉だったからだ。
僕らがいちばん大事にしているはずのこの言葉は、150年ほど前に、意味をまるごと入れ替えられている。

「自由」は、もともと“わがまま”だった
いまの意味の「自由」は、近代の発明品だ。
「自由」という二文字自体は、古くからある漢語で、仏典にも出てくる。だが、その含意は今とかなり違ったとされる。「自(おのずから)+由(よる)」、つまり何ものにもよらず、思いのままに振る舞うこと。そこから、勝手気まま、恣意、わがまま、という負の色を帯びていた(※1)。
「自由」を肯定的な価値として使うのは、昔の日本語の感覚からすると、かなり奇妙なことだった。
西洋の「自由」も、もとは“奴隷でない”だった
では、輸入元の西洋ではどうだったか。これも、いま僕らが思う「自由」とはだいぶ手触りが違う。
英語の liberty はラテン語の libertas、語根の liber は「奴隷ではない者」を指すとされる。freedom のほうも、ゲルマン語で「奴隷ではない、共同体に属する者」が出発点だという(※2)。
つまり西洋の自由も、最初は心の状態ではなく、身分だった。しかも「〜ではない」という否定形で定義されている。縛られていない、隷属していない。自由とは長らく、「囚われの反対」を指す、輪郭のはっきりした地位の名前だった。
東でも西でも、自由はもともと「いい気分」ではなかった。東では「わがまま」、西では「奴隷でない身分」。どちらも、いまの僕らの自由とは別物だ。
明治、福沢諭吉は「自由」という訳語を恐れた
このふたつが、明治でぶつかる。
文明開化で liberty / freedom という西洋の概念が入ってきたとき、翻訳者たちは訳語に苦しんだ。福沢諭吉は『西洋事情』で、この語の訳しにくさをこぼしている。自由と訳すと、昔ながらの「わがまま」と混同される。だから一時は「自主任意」のような言い回しも探った、とされる(※3)。
それでも「自由」が定着し、決定打になったのが、中村正直がJ.S.ミルの On Liberty を訳した『自由之理』(1872)だ(※4)。
ここで、面白い事故が起きている。「わがまま」という負の語に、「個人の権利」という正の概念を上書きしたわけだ。器は古いまま、中身だけ西洋から流し込まれた。だから「自由」には、最初から二つの意味が同居している。他人を顧みない勝手放題と、権利として守られた自律。この二重性は、いまも消えていない。
自由は、身分と国家を壊す道具になった
上書きされた「自由」は、強力なエンジンになった。
明治の自由民権運動は、「天賦人権」、つまり人は生まれながらに自由で平等な権利を持つという思想を掲げて、藩閥政府に挑んだ(※5)。武士も農民もない。身分という、それまで動かせなかった檻を、「自由」という言葉が内側から押し開けた。
このときの自由は、はっきりしていた。「〜からの自由」だ。身分から、専制から、抑圧から、解き放たれること。敵が目の前にいて、壊すべき檻が見えていた。だから、強かった。

「〜からの自由」は勝った。「〜への自由」で詰まった
ところが、檻を壊し終えた後で、自由はおかしくなる。
哲学者バーリンは、自由を二つに分けた。消極的自由(〜からの自由)と、積極的自由(〜への自由)だ(※6)。誰にも邪魔されない、が前者。自分の意志で何かを成し遂げる、が後者。
近代が勝ち取ったのは、ほとんど前者だった。身分も、検閲も、移動の制限も、次々に外れた。檻はあらかた壊れた。
だが、檻を出た先で、僕らは新しい苦しさに出会う。「で、お前は何をするのか」という問いだ。
いま、選択肢は無限にある。職業も、住む場所も、生き方も、パートナーも、タイムラインに流れる意見も、すべて「自由に選べる」。にもかかわらず、自由なはずの人ほど、なぜか苦しそうだ。選ぶこと自体が重荷になり、選んだ結果は「自分で選んだんだろう」と、まるごと自己責任で返ってくる。
ここで、明治の置き土産がまた効いてくる。「自由=何をしてもいい(わがまま)」という古い含みと、「自由=自分で律する(自律)」という西洋の中身。この二つを取り違えたまま、僕らは「自由=好きにしていい」のほうだけを受け取った。だから、好きにしていいのに、満たされない。
檻からは出た。でも、どこへ歩くかは、誰も教えてくれない。
自由とは、どの制約を自分で選ぶか
だから、自由をもう一度、置き直したい。
自由は、制約がないことではない。制約をゼロにした先にあったのは、選択肢の洪水と、自己責任の重さだけだった。本当の自由は、たぶんその逆側にある。どの制約を、自分の意志で引き受けるかを、自分で決められること。
これは、いまの僕にはよく分かる。会社を12年やってきて、訴訟も、大きな損失も、ひと通り通った。「自由に経営する」というのは、好き勝手にやることでは一度もなかった。自分で引いた約束と制約の中で、誰にも代われない決断を、自分の名前で下し続けることだった。檻がないことが自由なのではない。自分で選んだ檻の中で動けることが、自由だった。
そしていま、AIが選択肢を無限に並べてくる時代になった。放っておけば、自由はますます「選択肢の数」に見えてくる。だが、選択肢が増えることと、自由になることは、まったく別だ。AIに何万の選択肢を出させても、何を選ばないかを、自分の名前で決めるところまでは、誰も代わってくれない。
自由とは、選べる量のことではない。引き受けると決める力のことだ。
「自由に生きたい」と、また言いたくなったら、一度だけ言い換えてみてほしい。
何からも縛られたい、ではなく。 どの約束なら、自分の名前で背負えるか、と。
出典・註
- ※1 漢語・仏教語としての「自由」が、前近代には「恣意・わがまま・自分勝手」という否定的含みを帯びていたとされる点について: 柳父章『翻訳語成立事情』(岩波新書, 1982)「自由 ── freedom, liberty」の章。語の含意・変遷には諸説がある。
- ※2 liberty < ラテン語 libertas(語根 liber =「奴隷でない自由人」)、freedom < ゲルマン語系(共同体に属する自由な成員、奴隷でない者)。いずれも「隷属でない身分」という否定的定義を出発点とするとされる。Oxford English Dictionary ほか語源辞典による。
- ※3 福沢諭吉『西洋事情』(初編1866ほか)における liberty / freedom の訳語の苦慮(「自主任意」等の検討、「わがまま」との混同への懸念)。前掲・柳父『翻訳語成立事情』の記述に拠る。
- ※4 中村正直訳『自由之理』(1872)= J. S. Mill, On Liberty(1859)の翻訳。自由民権期に広く読まれた。
- ※5 自由民権運動(1874年の民撰議院設立建白書以降)と天賦人権論(植木枝盛らによる)。
- ※6 アイザイア・バーリン「二つの自由概念(Two Concepts of Liberty)」(1958年講演)。消極的自由(freedom from)と積極的自由(freedom to)の区別。