概念考古学CONCEPT ARCHAEOLOGY伊東雄歩

発掘概念

最高

「最高!」と叫ぶとき、僕らは良し悪しを“縦の高さ”に翻訳している。良いものが上、という前提に、誰も理由を持っていない。

古代の比喩/近代の最上級6

「最高だった」「マジ最高」「今日は最高の一日」。

口癖みたいに使うこの言葉、一度スローで見てほしい。「最高」と言った瞬間、僕らは良し悪しを “縦の高さ” に翻訳している。良いものは、上。

なぜ? と聞かれて、すぐ答えられる人はいない。これは、掘り起こす価値のある「当たり前」だ。

一本の高い梯子の頂へ登ろうとする小さな人影。その足元には、倒れた無数の別の梯子や物差しが転がっている。立っている梯子の頂上には、うっすらと王冠が浮かぶ。単一の軸の頂点だけを目指す情景の寓意。

言葉そのものは、掘ってもつまらない

先に白状しておく。「最高」という語の語源を追っても、たいして面白くない。

最(もっとも)+高(たかい)。漢語由来の、ごく素直な最上級だ。古典中国語からある。ここを辞典的にいくら掘っても、「いちばん高い」という意味以上のものは出てこない。語源辞典に任せればいい。

本当の地層は、言葉の下にある。「なぜ“良さ”を“高さ”で測るのか」 という、誰も疑わない前提のほうだ。

いちばん深い層は、「良いことは上」という比喩

身の回りの言葉を並べてみる。

  • 最高、崇高、高尚、高貴、気高い、格が高い
  • 逆に、どん底、堕ちる、下劣、レベルが低い、地に落ちた

良いものが上、悪いものが下。例外がほとんどない。

でも、考えてみると不思議だ。優しさや、正しさや、美しさに、物理的な「高さ」なんてない。なのに僕らは、それを当たり前に上下へ並べる。

言語学者のレイコフとジョンソンは、これを 概念メタファー と呼んだ。GOOD IS UP(良いことは上)、MORE IS UP(多いことは上)、HIGH STATUS IS UP(高い地位は上)。抽象的な価値を、身体が知っている空間感覚に重ねて理解する仕組みだとされる(※1)。

たぶん、根っこは身体だ。元気なときは立ち、弱れば横たわる。山の上に神を置き、地の底に地獄を掘った。上向きの力を、僕らはずっと「良さ」と結びつけて生きてきた。

「最高!」と叫ぶとき、人は無意識に、その喜びを“いちばん上”の棚に置いている。質を、高さに翻訳して。

ここまでは、まだ自然な話だ。問題は、この比喩が近代に入って 道具に作り変えられた ことにある。

「最」が、すべてを一本の軸に並べた

「高い」が「良い」なら、「最も高い」は「最も良い」になる。最高

ここで、こっそり一つの前提がねじ込まれている。「良さは、一本の縦軸の上に、順番に並べられる」 という前提だ。

最高がある、ということは、二番がいて、ビリがいる、ということだ。最上級は、序列を呼ぶ。そして序列は、単一の物差しを要求する。身長は一本の軸で測れる。だが、優しさと面白さと正しさを、同じ一本の軸で測れるか?

近代は、測れることにした。

健康を「健康度」にし、幸福を「幸福度」にしたのと、まったく同じ手つきだ(※2)。バラバラだったはずの価値を、一本の縦線の上に押し込めて、上から番号を振る。最高とは、その縦線のてっぺんに付けられた札のことだ。

「最高」という概念の地層断面図。深層から、良いことは上という空間の比喩(GOOD IS UP)、高い=高貴という価値づけ、最=最上級の文法、口語の感嘆詞「最高!」、過去最高・史上最高という記録のインフレへと積み重なる様子
発掘断面図 ──「最高」は、縦に積もった比喩でできている。

全部が最高になると、最高は死ぬ

止めを刺したのは、記録だった。

統計とメディアが「数えること」を覚えると、世界は記録で埋まる。過去最高益、史上最高気温、歴代最高視聴率、最強の布陣、最高傑作。 見出しという見出しが「最」で殴ってくる(※3)。

口語のほうも歩調を合わせた。「最高!」が、内容を持たない純粋な感嘆詞になる。料理も、天気も、推しのライブも、平日のビールも、ぜんぶ「最高」。便利だ。でも、ここで皮肉が起きる。

全部が最高になると、最高は何も意味しなくなる。

毎日が「最高の一日」なら、最高はただの口癖だ。最上級は、使うほど安くなる。インフレした通貨のように、「最高」は刷れば刷るほど価値を失っていく。

そして、もっと静かな代償がある。一本の縦軸に並べた瞬間、その軸で測れないものが、丸ごと見えなくなる。 「最高の店」を決めるたびに、雰囲気が好きだった二番手の店が、ランキングの下で沈黙する。最高を一個選ぶことは、それ以外の全部を「最高ではない」と切り捨てることだからだ。

どの軸で測るかを、決めているか

だから、「最高」を口にする前に、一段だけ戻りたい。

最高は、物の性質じゃない。ある一本の軸を選んだ結果だ。価格で測れば最高の店、味で測れば別の店、居心地で測ればまた別の店が「てっぺん」に来る。軸を変えれば、王冠は別の頭に移る。最高とは、「どの軸で見るか」を決めた人の、答え合わせでしかない。

これは、いまの僕には他人事じゃない。

AIは、何でもランキングできる。スコア、勝率、ベンチマーク、評価指標。放っておけば、世界中のものを一本の軸に並べて、瞬時に「最高」を出してくる。10年かけて積んだ僕の優位が一瞬で平らに見えたのも、世界が突然、別の軸で測り始めたからだった。僕は「最高」だと思っていた軸の上で、いつのまにか下のほうにいた。

測るのは、もうAIでいい。だが 「そもそも、どの軸で測るか」を決めるのは、まだ人間の仕事だ。最高を一個に絞るたびに、僕らは無数の軸を捨てている。その捨てているもののほうに、たぶん、自分にとって本当に大事なものが混じっている。


「最高だった?」と聞かれて、すぐ「最高!」と返さなくていい。

その代わり、ひとつだけ自分に聞いてみてほしい。

いま自分は、誰が引いた、どの軸の上で、てっぺんを探しているのか、と。

出典・註

  • ※1 概念メタファー GOOD IS UP / MORE IS UP / HIGH STATUS IS UP について: George Lakoff & Mark Johnson, Metaphors We Live By(1980、邦訳『レトリックと人生』)。価値判断を上下の空間感覚に写像する仕組みとして論じられる。日本語への当てはめは大筋としての援用であり、言語ごとの差異には議論がある。
  • ※2 「健康度」「幸福度」など、本来は質的だった概念を単一スケールで数値化する近代的手つきについては、本サイトの〔健康〕〔幸福〕の各記事を参照。価値の一軸化という共通構造として扱う。
  • ※3 「過去最高」「史上最高」等の最上級表現は、統計・記録の蓄積とマスメディアの見出し文化を前提とする近代以降の語法。口語の感嘆詞「最高!」の定着時期には諸説があり、ここでは年代を断定しない。